わかりあえないことから

中学高校と演劇をしていた。何かの役割を持ってしゃべるのが楽だったからかもしれない。1年に1回発表会があって、それ以外はだいたい遊んでいた。そのときに平田オリザの脚本を読んで、めちゃくちゃ読みにくいなと思った覚えがある。それは多分、「話しことば」をそのまま文字に起こしてあるからで、一般的な脚本の「整えられたことば」とは違ったからなのだろう。

で、たまたま『わかりあえないことから』を読んだ。平田オリザの教育経験からみたコミュニケーションの話。コミュニケーションという言葉は定義が曖昧なまま独り歩きしていて、人間がもてるほぼすべての力を内包したようなスーパースキルになってしまっている。そのことを指摘し、じゃあ実際に我々が誰かと接するというのがどういうことなのか、そしてどうしてそれが大事なのかという話を丁寧にしていく。きれいな言葉を話す能力でもなく、流暢に話す能力でもなく、素晴らしい意見を話す能力でもない。ただ、自分が普段話している言葉を意識し、自分と相手が違うことに気づき、それでも相手と語り合うということ。あの脚本を書ける筆者がいかに「話しことば」に明敏であるかがよくわかる。

上記の能力がない人間としてはうなずくばかりなのだけれど、それにプラスしてこれからの時代には「文字だけのコミュニケーション」を磨くレッスンがあってもいいんじゃないかと思ったりする。相手と一切顔を合わせず、文字だけ(それも手書きではなくデジタルフォント)で他者とつながっていく方が楽な人もいて、そういう人間がその中だけに(あんまりいい言葉じゃないけど)閉じこもっていられるようなコミュニティが選択できるととても世界が気楽になるだろう。もちろん、そんな人も(いまのところはという注釈付きだけど)話す必要はまだ必要なので、両輪のコミュニケーションレッスンが基礎教育に含まれているといいなあと思う。