BEATLESS

長谷敏司は作品の最後にオープンクエスチョンを投げてくる小説をよく書く。『あなたのための物語』や『父たちの時間』、『震える犬』。すべて物語が一応の完結を迎えるものの、問題の解決が起こったわけではない。なぜなら、それらの問題はすべてこの現実で起こっているもので、我々が今抱えているものだからだ。

BEATLESS』もその一つ。モノとヒトとの関係を問うものである。モノをヒトとして扱うことも、ヒトの上位存在として扱うことも、ましてやヒトの下位存在として扱うことも、すべて欺瞞を含んでいる。モノをモノとして扱い、共に存在し続けること。

AIBOが二度と修理できなくなったとき、店の中でうなだれるペッパーを見たとき。僕らはいつもモノとヒトとの関係を問われている。今はなあなあにしているけれど、きっとこれから『BEATLESS』のような選択を迫られるときがくるだろう。

それをモノ側にも問おうとするところが、『BEATLESS』の面白い部分だ。アニメは見ていないので比較できないのだけれど、この問いについて考えるなら文字で読んだほうが面白いと思う。言葉が一つ一つ楽しいから。

最近読書ブログではなくなってきた

長距離バスに乗ったら酔った。つくづく車との相性が悪い。

『魔女の子供はやってこない』の感想が少しずつまとまりはじめている。ある読書ブログの詳細な記事を読んでしまったので、そちらに引きずられているきらいはある。

ギャグマンガ日和』を実家で読んでいたのだけど、覚えていた内容よりもかなり理屈っぽい。科白が多いのもあるし、ネタのポイントが作者の中で明文化されているというか、確実に頭で作っている人だなあと思う。読み返すと科白にいろいろ仕込まれていて楽しい。

ソードマスターヤマトとかうさみちゃんとかが有名(アニメのほうが有名かもしれない)だが、1話限りの小ネタが異常に面白い。アマンダさんとか謎のスポーツ手引き(お留守番)とか、作者が発想に自信を持っているような話がキレキレである。かと思えば、ネコちゃんの腹筋みたいな危うい話もあって油断できない。どうでもいいけど私はネコちゃんの話を読んだ後にご飯を食べて吐いたことがある。体調が悪いときに読む本ではない。

テレビしかない

帰省しているが、みんな人の噂かテレビの話しかしない。普段テレビを見ていないので、芸人の話が全くわからず混乱している。安室奈美恵樹木希林の話はわかった。

どこに行ってもテレビが流れている。それをぼんやりと眺める人たち。

 

みんな、どんだけ他人に興味かあるんだ。

京極夏彦の話をする怨霊

『続巷説百物語』を読んでいた。京極夏彦の本は四コママンガみたいだと本人が言っていたと思うのだけど、確かに筋に必要な情報を開示する順番が四コマっぽい。というか理屈っぽい。

しかし、情報が多すぎて記憶のキャパを超えると大変なことになる。『塗仏の宴』とか『絡新婦の理』とかね。

嗤う伊右衛門』とか『魍魎の匣』、『鉄鼠の檻』の情報量はちょうどよくて、京極夏彦のいいところが出ている。怪談として出来がいいのは『百鬼夜行――陰』。『姑獲鳥の夏』は関口君がかわいい。

スマホだと長文が書けない

勝手に人の気持ちを想像してはいけないなあ、と思いつつ、この前のSMAPの記事を読みかえしていた。それは人のことを人あつかいしていないのと同じである。