世界の何処かで起こっている大嵐を(勝手に)受ける

家にテレビがないので世事にうとい。最近堅めのニュースアプリを入れてみたら、知らない政治問題やらラグビー部の問題の進展が入ってきた。前提としての事件の説明すらない。みんなにとっては当たり前すぎて説明が要らないのだろう。

今まで知らなかったことは自分が知らないままに過ぎ去っていく。それは事件自体が自分にとっては存在しないこととイコールだ。みんなこんなに「いろんなことが起こっている」世界に生きているんだなあ、身の回りが点滅するみたいで辛くないのかなと要らない心配すら浮かんでしまう。

知らないことで損をすることもいっぱいあるだろう。恐ろしい法案が通ったり、自分や周りの人がいつの間にか貶められていたり。でも、現実に対して過敏すぎる身からすると、毎日毎日どこかで起こっている暴力が勝手に頭の中に吹き込まれていくというのは、やっとこさやり過ごしている日常をぐらつかせかねない。ニュースを毎日見るのは、あとちょっとでも進んでしまえば精神の均衡からはみ出してしまうような綱渡りの途中で台風を起こすようなものじゃないのか、と不安になったりもする。

でも見てしまう。もう少しではみ出すのかもしれない。でも、なぜか嵐の中に体を差し出してしまう。