電書でしか出来ないこと

これだけ電書が盛んになっても、電書でしかできない読書体験を押し出してくる小説ってあんまりない。これとかが最初に思い浮かんだけど、多分これは本であっても面白いと思う。(怖くて1回しか読めていないけど面白いです)

電書が広まらない理由はそこにあるような気がする。つまり、いつまでも「実物である本の代理」であるという立場を守り続けているし、読む側も「ニセモノ」として扱っている。重さと手触りがある本だからこそできることっているのを本を作る人達は熟知しているし、作るときにもそれを重要視する。だけど、電書は本から重さと手触りを抜いたペラペラの抜け殻みたいに捉えられてしまう。

この「重さと手触りが存在しない」という部分を逆手に取れないだろうか。いつでも改変しうる、作成者や読者がフレキシブルに有り様を変えられることは、かなり大きな可能性を秘めている気がする。最初に思いついたのはwikipediaみたいにすべての人が改変できる電子書籍。読むたびに違うものになっていて、しかもすべての段階がアーカイブ化されていて参照可能な小説。……これが「電書」なのかはさておき。

つまりこれか?
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……一つ思い出した。電書でしか出来ないことといえばリンクジャンプじゃね?目次のリンクを踏むとすぐにそのページまでジャンプするやつ。あれで全然別のページに飛ばすとか……(思いつきで書いています)。