すべての本は曲解される

バーナード嬢曰く。』を読んでいると、彼らがすごーく賢いことに驚いてしまう。ド嬢たちはそれぞれが本を「自分の立場で読んでいる」ということを理解している。つまり、「自分が曲解して本を読んでいる」ことに自覚的なのだ。

受け取り手の自分がいるということは、無自覚に本を曲解しているということだ。自分が読みやすい方向に記憶は捻じ曲げられ、言葉は読み捨てられる。にもかかわらず、すべての読み手は自分と同様の読解をしているという風に読み手は捉えがちだ。解釈違いとして「そういう読み方もあるんですね」と穏便に済ますくらいならまだしも、人の読み方をあげつらって「お前は曲解している!」と批判するのは間違いだ。「お前も俺も曲解している」ということだ。

本の読み方に正解はない。そして間違いもない。作者の思惑ですら正解ではない。自分の読み方も誰かの読み方も、みんな自分の内面を映し出しているにすぎない。ド嬢たちはえらいなあ。