どうして勉強しなきゃいけないの?

これを読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070121/1169414343

ここに書いてあるのは「個別の勉強によって得られる知識・スキルのメリット」である。正しいと思う。これを読みながら少し考えていたのは、「勉強という行為自体が生むメリット」があるんじゃないかなということ。私にとって勉強のメリットは、「知識の構造化が学べる」である。もうちょい簡単に言うなら、「楽をする方法を導き出せるようになる」ことである。

楽しいことをするとき。例えば好きなゲームを攻略するとき、敵の弱点や特性、HPやMPを知り、攻略手順を構築する。自分を可愛く見せたいとき、メイク道具の使い方や色の組み合わせを調べたりメイクのうまい友人に教えを請う。当たり前にやっているけれど、これらはすべて「楽をする」方法である。
楽しいことだからとりあえずぶち当たるのもいいけれど、最初のダンジョンのみを周回して経験値を1ずつ貯めていくゴリ押し戦法は時間が掛かるしめんどくさい。とりあえず高いメイク道具を買い漁って適当に塗れば、お金がかかるしうまい方法が見つかるまでずっと変な顔のままだ。
だからこそ、攻略するための「データを集め」、よりいい攻略手順を「考えてから実際の行動に移る」。メイクの上手な人に「教えてもらい」、似合う色や安いメイク道具を「話し合って決める」。こういう「効率化」「知識の構造化」を記号的に学べるのが学校の勉強のいいところなんじゃないか。
何も年号の数字が大事なわけじゃない。加法定理を覚えていることが偉いわけじゃない。歴史の起こった順番が「どんなふうに関わり合っているか見極め」たり、何か数学の問題を見つけたとき「どういうふうに公式を使えばよいか、問題の中の情報から先に考え」たりすることが重要なのである。全部、学んだことをうまく使って楽する方法を考えることに繋がる。もちろん得られる知識も大事なのは、上で紹介した記事の人がわかりやすく書いている。

ここで、「そんなの日常でも無意識にやっている」という人もいるだろう。その通り。我々は無意識に楽をする方法を考えて人生を送っている。ただ、意識しないままでいると、今まで経験したこともないような別のジャンルのイベントが発生した場合、楽をする方法を無意識に考えつくのは難しい。学校の勉強は、日常と離れた言葉・状態で何かをさせることによって、楽する方法を意識的に導き出すトレーニングをさせる強制イベントのようなものなのではないかと思う。

だから、学校の勉強が嫌いな人は、自分が楽しいと思っていることでどういう風に楽をしているか考えてみるといい。その方法はきっと人生の他の場面でも役に立つと思うし、学校の勉強に適用してみるとすこし楽になるかもしれない。それで、学校の勉強が意外と面白かったら儲けものだ。