いい文章を書くのに必要なもの

文章を書いたり読んだりする中で、いい文章にある共通点が見えてきた。本当かどうかはわからないけれど、とりあえずまとめておく。

まず、いい文章は、「わかりやすい文章」と「面白い文章」の積集合の中に存在すると仮定しよう。「わかりにくいけど面白い文章」「わかりやすいけどつまらない文章」っていうものもあって、これらは「まあまあいい文章」。

で、両者を支える要素は分かれている。

「わかりやすさ」に必要なものはテクニック。文章の体裁を整えること。適切な比喩を使い、読みやすい表記を使い、適切な文法(正しい文法は存在しないが、その時々で求められている文法はある程度存在する)に沿って文章を書く。
「面白さ」に必要なのは内容。内容の豊かさもそうだけど、ずば抜けた情熱や激しい感情の爆発は、情報量が少なくても魅力的だ。丁寧な論旨だって価値がある。こういう、文章が伝えてくるメッセージの強さが面白さを作る。

ここからが本題。文章のテクニック本を読んで真似しても、たくさん論文読んでまとめても、なんだか満足度の低い文章になることが多い。「まあまあいい文章」止まり。集合論で例えたのは実は間違いで、「いい文章」にはテクニックと内容プラスαが必要なようだ。じゃあ、それは何か。

時間である。

実際の執筆にかける時間ではない。書く文章のことが頭のなかに存在した時間である。その文章を書こうと思ったときから、資料を読んだり日常生活を送ったりしつつ、その文章についてなんとなく考えを巡らせたりする時間。その長さが閾値を超えると、「いい文章」になるような気がする。
本当ならば思考リソースと言う方が正しいのかもしれない。書く内容について脳を占めた面積。ただ、短期集中はあんまり効果がなくて、集中度は低くてもいいから長く時間を置いた方がいい文章になる。テクニックは手練れ、内容は深くなる。極論だけど、一定の時間を置くならばほとんどそれについて考えなくてもいい。

もちろん時間の前に文章の材料が必要であり、そこは内容とも関わってくる。内容について考える時間はテクニックの洗練を生むだろう。全部密接に関わっているのだけれど、私の経験則では時間が両者の上位にあるのは間違いない。

では、時間がないけど文章をできるだけ高みに上げるにはどうしたらいいか。そういうときは、「わかりやすい文章」か「面白い文章」のどちらかを目指せばいいんじゃないか。具体的には、テクニックまたは内容のどちらかに絞って強化すれば、「まあまあいい文章」にはなると思う。「わかりやすさ」と「面白さ」のどちらを重視するかは人によって違うので、自分の評価軸を元に重み付けを決めればいい(私はかなりの内容重視派)。

まあ、ここで言っている「いい文章」は突き抜けた名文ではないので、そういう尖った文章では条件が異なる。実はそういうのを目指しているのだけれど、道は遠い。