Deep Loveがわかるだなんて
中学生の頃に『Deep Love』を読んだ。『Deep Love』はWikipediaのあらすじ通り、「わからない」ところが一切ない話だった。矛盾とかハッタリは大量にあるのだけど、「理解できない」部分が一切なかったといえばいいのだろうか。少なくともそのときそう感じたのを覚えている。よく覚えているのは、私が「秘された部分・明示されていない部分が存在する」ことを本の魅力の一つとしていたからかもしれない。
今日、引越荷物の整理をしていたら『非Aの世界』が出てきたから。この本、何回読んでも最後まで読み通せない。その理由が、「明示されていない部分が多すぎる」「理解できない」本だからという風に考えていた。『Deep Love』と『非Aの世界』は正反対のはずなのに、どちらにも(今のところ)魅力を感じないところはそっくりである。
でも、すべての解釈は誤読であるし、すべての意図は誤解である。作者の意図ですら一つの解釈例にすぎない。私たちの前に存在するのは、ただまっさらな文章でしかない(誤植とか落丁とかでまっさらでない可能性すらある)。明示してある部分ですら、また秘されている部分ですら、私の勘違いであるかもしれない。としたら、私はとても『Deep Love』がわかっているだなんて言えないのではないか。逆に『非Aの世界』がわからないというのも言えないのではないか。本の意味がわかるってなんだろう。わかるとわからないの間にはどのような差があるのだろう。
- 作者:A・E・ヴァン・ヴォークト
- 発売日: 2016/02/27
- メディア: 文庫
- 作者:Yoshi
- 発売日: 2019/02/13
- メディア: コミック
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