誤解によって生まれる不思議――今だけのあの子

芦沢央の『今だけのあの子』を読んだ。女どうしの友情に絡まるちょっとした不可解をテーマにした連作集である。

彼女たちの間に起こる不可解は、たいてい主観の誤解によって生まれている。どんなミステリでもそうかもしれない。結末から遡っていけば何も不思議なことはないのに、主観となる人物(語り手、証言者など)が何らかの理由(思い込み、情報不足、撹乱)によって誤解をするから不可思議な点が生まれる。ミステリ作家は、その誤解を生む原因を巧妙に取り込むことで、謎自体を生みだし、輝かせるのである。

それぞれの短編集で扱われる謎は、正直にいうと個別に取り上げれば魅力的なものではない。本当にこんなことが起こるのかなあ、なんて首を傾げざるを得ない部分もある。しかし、この小説の肝は謎ではなく、謎を生み出す誤解にある。彼らがどうして誤解をしたのかが、テーマとなっている人間関係と不可分なものになっているのだ。彼女たちがどういう考えを持ってどういう関係でつながっているかによって、発生した現象が捻じ曲げられて不思議となる。トリックに重きを置かないミステリではとても重要なポイントだ。これを自覚的に押さえ、テーマに発展させているのがこの小説の魅力だろう。

難癖をつけるようで申し訳ないのだけれど、結末の描写がちょっと足りない話がいくつかあると思う。謎を生む誤解とその種明かしまではかなり丁寧に書かれているが、解決後の関係性の変化についてはかなり急ぎ足で通り過ぎていく。ミステリの肝は謎だから、解決後のことに興味を持たれないといえばそれまでだし、普通のミステリであれば気にならないだろう。だけど、この話は全体として登場人物の関係性によって生まれた謎なのだから、謎が解決したことで関係性がどのように変化したのかも欠くことができない。謎を提示するパートと同じくらいに気を配ってあるとより魅力的な話になったんじゃないかなあなんて、偉そうに考えている。もちろん、過不足なくきれいに仕上がっている話もある。

ごちゃごちゃ言ってしまったけど、人間関係に関わるプロセスを丁寧に切り出して、謎を魅力的に見せているきれいな小説だと思う。一番私が気に入っているのは、ちょっと神経質なママを主体にした『答えない子ども』。最初から最後まで、謎の見せ方に無駄がない。