リッツくらい大きなダイアモンド

「そんなのぜんぜんお話にもならないさ。だって僕の父は、リッツ・カールトン・ホテルよりも大きなダイアモンドを持っているんだもの」

『リッツくらい大きなダイアモンド』は、フィッツジェラルドの小説としてはちょっとだけ珍しい。フィッツジェラルドの大抵の小説は、リアルで重苦しい現実にちょっとだけファンタジーをまとわせて絢爛豪華にするものだけれど、この小説の場合は逆だ。おとぎ話にちょっとだけ現実を含ませている。ぐったりと絡みつくラストは同様だけど。

この小説では、にっちもさっちも行かなくなった人ではなく、にっちもさっちも行かないようにする人たちに筆が割かれている。つまり、金持ち。『おぼっちゃまくん』みたいな世界観がこれでもかと描写され、貧しきものを省みない金持ち一家が描かれる。その中で一人、批判的な目を向ける娘のキスミンがいて、庶民のジョンと恋に落ちる。だけどラストでは、すべての人がにっちもさっちも行かなくなる。金持ちが勝ち抜けるわけでもなく、反対者たちが幸せに暮らすわけでもない。みなが苦しい立場(または死)に至っておしまい。

おとぎ話だからこそ、ラストでのシニカルさや容赦のなさにがっつりと圧し折られるのだ。