歪んでいるのにクリティカルな関係――めしにしましょう

深読みしすぎと揶揄されてもいい。『めしにしましょう』は非常に屈折した百合漫画である。
ちょっと違うな。青梅川おめがと广大脳子は両方ともアイデンティティの核に女性である部分があまりない。特に作者の投影である青梅川さんには。だから、百合ではないのかもしれない。しかし、複雑な関係性を描いているというのは事実である。謎のお掃除ロボットゆずと新人アシスタント馬場ヲッカの関係性も複雑であるが、割愛する。凪無については、いつか書くかもしれない。

めしにしましょう』は、ヒット漫画家松浦だるま广大脳子の仕事場で、アシスタント小林銅蟲青梅川おめがが好き勝手に異常なめしを作る漫画である。異常なめしの詳細については小林銅蟲のブログパルを見たほうが話が早い。2014~2015年くらいの記事がおすすめだ。

青梅川さんと广先生は、もともと言葉で表しにくい関係性を持っている。商業ではない異形漫画ねぎ姉さんを青梅川さんは長いこと描いている。その周年パーティでファンだったデビュー前の广先生と出会う。その後广先生のデビュー作は大ヒット、青梅川さんは生活のためにアシスタントとして广先生の元に押しかけた、という流れである(微妙に前後関係などが異なるかもしれない)。

广先生はファンであることから、青梅川さんの自由な行動に心酔している。ツッコミが追いつかないという状況自体を楽しんでいる。そして、青梅川さんは广先生が(大体の場合)自由にやらせてくれるという信頼を元に、物理法則を越えた行動を取り続けられる。
この「強い気持ち」と「関係性」、しびれませんか。相手に対する関係性と実際の立場のねじれ、そしてお互いへの屈折した信頼。『バッカーノ!』のラッドとルーアのような、あるいは『猫の地球儀』の焔と幽のような(なんで例えが電撃文庫ばかりなんだろう)。そしてこの関係性は、恋愛関係がないからこそ輝く。

青梅川さんの料理は、あまり脈絡がないままに作られる。作者が無理せず話を作れる程度の最低限の導入はあるけれど、『ミスター味っ子』や『クッキングパパ』のように、料理とストーリーが密接につながっているわけではない。しかし、广先生が脈絡なく作られた料理を最終的に口に運ぶという約束によってストーリーが終着する。この、作る人と食べる人の間にあるつながりは、この二人の関係性のコアを貫くクリティカルなものだ。そんなとき、タイトルが『めしにしましょう』となっていることを思い出し、戦慄するのだ。