大人の忖度で心を潰すな――『恋は雨上がりのように』

『かわたれの街』という勝田文の漫画がある。女子高生がダメ男に恋をする話なのだけれど、私はそれの第一話にあたる冬編が好きだ。
ダメ男に女子高生が告白する。ダメ男は、奥さんに振られても振られてもストーキングをし続けるようなダメな自分に恋などしてはいけない、とぐちぐちいなす。すると女子高生が手に持っていた鍋を投げつける。そして一言、「答えになってない!」。

そう、答えになっていない。ダメ男がダメであることは、女子高生の告白に対するアンサーではない。必要なのは、彼女の心にダメ男がどう応えるかである。大人の対応とかはどうでもよいというか、ただ答えを避ける逃げの一手でしかない。

急に何の話かというと、『恋は雨上がりのように』のラストの話である。以下ネタバレ。


恋は雨上がりのように』は、足を怪我した陸上少女が、冴えないファミレス店長に恋をするという漫画である。そのラストはこうだ。店長に主人公が訪れ、自分の気持ちをどうにかしようとする。そこを店長が押し止めるように、彼女の陸上への未練を指摘する。その答えに背中を押され、彼女は陸上に復帰する。店長への思いは伝えられぬまま。店長は、「これでよかったんだ」と空を見上げる。

私はこのラストがはっきり言って嫌いである。なぜなら、これは答えになっていないからだ。

主人公の恋は陸上に対する挫折と密接に関連してはいるけれど、それは別物だ。店長は、40代のおっさんである自分と女子高生である主人公の立場を忖度した上、「大人の対応」をした。つまり、陸上によって話をそらしたのだ。ポリコレの観点から言えば正しいのかもしれない。でも、心の動きを大事にする漫画として完結したいのであれば、これは非常に良くない終わり方だ。

さらに言えば、このラストはこの漫画の根本を揺るがしかねない。この漫画は、主人公や店長、その他の登場人物が心の純粋さによって世界をどうにかしようとする話でもある。店長が主人公に心を動かされたり、主人公のライバルが主人公に触発され行動を変えていく。また、主人公自信も店長や友人の強い心に励まされ、自分の気持ちに向き合っていく。
それなのに、この終わり方はまるで「大人の忖度によって主人公の気持ちが気づかぬうちに曲げられている」ようなものではないか。私はこのラストを読んで、この漫画の中に吹き抜けていた透明な風が濁ってしまったような気がした。

おっさんと女子高生という立場の違いは、この漫画の大事なポイントだ。それに立脚して店長が考えるのは当たり前だ。店長が真摯に向き合って、結果振られるのであれば構わない。だけど、主人公の気持ちをそらすような終わり方はしてほしくなかった。互いの心をぶつけてほしかった。

実は、こんな終わり方をしそうな漫画がもう一つあって、私はとても気になっている。『八雲さんは餌づけがしたい。』である。

『八雲さんは餌づけがしたい。』は、アラサーの未亡人女性が、アパートの隣室に住む男子高校生と毎日食卓を囲む話である。だんだん2人の関係が変化していき、男子高校生は(本当にわずかだけど)未亡人のことを気にしはじめている。
最近、結構露骨なセクシー描写が増えてきている。そして、両方に互いの年齢差や立場の違いを気にするようなエピソードが出てきていることが気になるのだ。
まだ微々たるものだけれど、もしポリコレエンドになってしまったら嫌だなあ、なんて勝手に考えている。どうなるかはわからないけれど。