FLIP-FLAP

鬱々と過ごしてしまった。人生を進めるような行動は一切していない。俺は芋虫……。

kindle unlimitedに入っている漫画をいろいろ漁っていたところ、とよ田みのるの『友達100人できるかな』を発見。以前紙の本を持っていたのだけれど人にあげてしまったので、久しぶりに読もうかなあと思いつつ、同じ作者のこちらを読んでいた。

普通の高校生である主人公がかわいい女の子に勇気を出して告白したら、急にゲームセンターに連れて行かれ、「このピンボールのハイスコアを塗り替えて」と言われる。それまでピンボールなぞ触ったことのない少年は、少女の心を掴むため、前人未到のスコアに挑む……、という話。

ピンボールのスコアを上げても、金を稼げるわけではない。誰かが褒めてくれるわけでもない。名誉も地位も得られない。ハイスコアを出すためにはメンタル面もフィジカル面も鍛える必要がある。時間も金も浪費される。とても面倒くさい。だけど、だから、「役に立たない」ピンボールをやり続ける。そういう天才に惚れた女の子を振り向かせるにはどうすればいいのだろう。

……自分もそんな狂人になるしかない。

別の土俵に引きずり込んで戦うことをせず、自分が狂人になって狂人と戦う。それは途方もない選択だ。努力すればするほど費やした負債は増えるばかり、それでも先に行けば勝てるという保証もない。最終的に「いちばん」になれるかどうかはわからないけれど、それでも進むしか方法はない。

ここまでは何らかの勝敗が決まる世界を描く漫画の類型である(『スラムダンク』や『ちはやふる』などが近い)。この漫画が他と一線を画すのは、「女の子を振り向かせる」という主が従にかわることで、初めてそちらの目的を達せられるという点を最後まで貫いているところである。

つまり、女の子を振り向かせるためにはピンボール狂人になるしかないが、ピンボール狂人はそんな目的を超えたところでピンボールをやり続ける。実際的な目標とは関係なく、意味のないピンボールをやり続けるから狂人なのだ。なので、女の子が振り向こうが何しようが関係なくピンボールをただやり続ける人間になって、はじめて女の子が振り向いてくれる。でも、女の子が振り向いたことに気づくくらいでは、狂人とは呼べない。そんな矛盾した状態をこのヒロインは課す。

主人公のライバルたちは、そんな矛盾を抱えきれなかった人たちである。だからこそ、主人公のことを羨んだり妬んだりしながらも、いつも眩しそうに眺めてしまう。あんな狂人になりたい。なれない。なりたくない。でも、なりたい。彼らの応援だったり僻みからは、凡人が狂人に魅せられる様子が感じられる。

やっぱり天才は眩しい。