船乗りクプクプの冒険

北杜夫といえばどくとるマンボウの印象が強いかもしれないけれど、僕は『船乗りクプクプの冒険』も好きである。小学生の頃にこれを読んで北杜夫の面白さを知り、図書館の大人向け本棚に足を運ぶようになった。そういう思い出も上乗せされている。

宿題に飽き飽きしていたタロー少年がキタ・モリオの小説を読んで、その本の中に入ってしまう。タロー改めクプクプは、もとの世界に戻るために目下逃走中のキタ・モリオを探し、変な仲間たちとともに大海原へと旅に出る……という話。

まずタイトルがかわいい。擬音っぽくて、人名にはなかなか使わない字面をしている。賢そうではないけれど、悪いやつじゃないんだろうっていうことが想像される。

そして小学生の僕が何より影響を受けたのが、作られた人物と現実の人間が区別されていない点。これらの世界には隔たりがあるように考えがちだけど、区別するすべなんて本当はない。それなのに、どうして現実の人間が偉そうな顔をしているのだろう、なんて子どもの頃は考えていた。今も考え続けている。

この本の中のタロー改めクプクプは、物語の読者でありながら物語の世界からの干渉を受ける。作者のキタ・モリオですらそうである。話の続きを書くことはできるけれど、トラブルを避けるほどの力はなく、登場人物とともにあたふたするばかり。物語の登場人物と交流を深めながら物語中の世界を生き続ける。

僕らは本を読むことによって物語世界と接触する。心に残ればそれが人生に関わることもあるだろう。でも、結局は本を閉じれば交流は切断され、そこに登場人物たちは取り残される。作られたものたちが作ったものたちと対等にいられればいいのになあ、なんて思い始めたきっかけの一つである。